瓦職人とプロスノーボーダー 二つの顔

第2号(2017年12月発行)

小池 学さん [佐久西小・佐久中卒 37歳]

佐久穂発、プロスノーボーダー

佐久穂町で、人生を最高に楽しんでいる人がいる。

小池学さんは2つの顔を持つ。瓦職人の顔と、プロスノーボーダーの顔だ。春から秋は、家業の「小池瓦工業」で汗を流し、冬季はフリースタイルのプロスノーボーダーとして、冬の山で輝きを放つ。家業が冬場に仕事が少なくなることもあるが、家族の理解があってこそ続けられるライフスタイルだ。

 

小池さんが、スノーボードにのめり込んだのは19歳の時。偶然目にしたニュージーランドへの語学とスノーボードの留学プログラムのポスターがきっかけだった。スノボ好きが集まる中で、「自分が一番うまかった。イケるんじゃないかって。それで調子に乗っちゃって」

帰国後も八千穂高原スキー場や軽井沢、小海などでスノーボードは続けていたが、当時、佐久地域でプロスノーボーダーの存在はなく、どうしたらいいか分からない日々が続いた。転機になったのは25歳の時。プロとしてやっていくなら、他へ行ったほうがいい、と勧められた。ニュージーランドで会った友人と一緒に白馬を拠点にプロを目指す中で、その後、スポンサードしてくれるメーカーなども付いてくれた。

プロを目指した動機はいたってシンプル。プロスノーボーダーとして有名になりたかったから。その目的を達し、プロスノーボーダー小池学として、自らの滑りをDVDにして販売したり、雑誌やメーカーのカタログ作成にも登場する。

 

瓦職人の未来を切り拓く

 自分のやりたいことをやらせてくれている両親に感謝したい。そんな恩返しの気持ちもあって瓦の仕事にかける思いは熱い。若いころは、恥ずかしいわけではないが、プロスノーボーダーとしてのプライドがあってか、瓦職人であることはあえて公表していなかったという。今は、瓦職人としてのプライドを持ち合わせ、やりがいを感じている。手は抜かない仕事に自信を持つ。自分が手掛けた瓦屋根の家が増えていくことが何よりうれしい。道のりは、まだはっきりと見えていないが、日本では西洋建築などに押されて瓦を使う住宅が減っているが、逆に海外で瓦の仕事をしてみたい。父を超えるためにも、瓦の新しい可能性をみつけて、この業界をしっかり守っていきたい。そんな瓦職人としての未来も描いている。

 

両方100%で

 今の生活スタイルを続けられる佐久穂町が好きだ。そんな中、昨年から八千穂高原スキー場においてプロデュース、コーチングなどで関わり始めた。地元の八千穂高原スキー場をスノーボードのメッカにしたい。ここからオリンピック選手を出したいなど、夢も膨らむ。かつては自分のことだけだったが、ここ2年は、考え方も変わってきたという。

 スノーボードをやり始めた時の目標として、一生やり続けたいという思いがあった。それを実現できる環境がある。それは幸せなこと。

 プロスノーボーダーとして、瓦職人として、両方とも100%が、小池さんの流儀。